北欧ダダイスト

スウェーデン留学していたログ

芸術を否定した芸術・ダダイズムが生まれた場所。【Cabaret Voltaire】

おはよう世界

哲学って深みにはまると結構危ないので普段あまり考えないようにしてるけど、どうしても考えちゃうときは、もういいや、って割り切って深みにずぶずぶ沈んで身を任せる。

 

そんな感じで過去の人たちも同じようなことを考えてきたんだろう。

個人的な悩みだったらそんな過去の偉人たちを頼ればある程度答えに近いものは見つかるかもしれない。

 

ただ、問題は世界を巻き込むレベルの哲学的難題が人類に降りかかったとき、どうすればいいんだろうか

 

 

『人間の理性』

とか

『世の中のあたりまえ』

とか

『美的センス』

とか

 

こういった人間の頭の中で作り上げてできた世界が、ある日突然音をたてて崩壊したとしましょう。それも世界中で。

 

こういう環境に直面した時、表現者ってどういった行動をとると思いますか?

 

 

 

実際に人類がそういう状況に陥った時が、あったんですね。

そしたら

 

 

 

 

 

 

 

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Photo: © 2018 www.artyfactory.com

 

こうなったり・・!

 

 

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Photo: © 2018 www.artyfactory.com

 

こうなったりしたらしい・・・!!!!(諸説

 

 

なんだこれは、、、

わけがわからないよ、、、

 

 

何があったら人間は、顔に物差しの張り付いたオブジェを作ったり

モナリザに髭を生やして、別の作品にしようなんていう暴挙にでるんでしょうか

 

 

実は、この「意味が分からない」という感覚、これを体現したのが、上の作品たち。

何を表現しているのかわからなくて当然、というか作った本人たちも出来上がった作品が何を意味しているのかさっぱりわからない。

 

こういった作品が芸術史に登場するようになったのが、「既成の世界が崩壊した時代」、つまり第一次世界大戦の時でした。

 

これらの作品のコンセプト、それは『ダダイズム』です。

 

 

 

なぜイミフ過ぎる芸術が生まれたのか 

第一次世界大戦ダダイズムにどういった関係があるんだ?って思うかもしれない。

歴史的には、第一次世界大戦、初めて全世界を巻き込んだ戦争が起きるわけです。ヨーロッパの紛争から始まり、そのヨーロッパ諸国が彼らの植民地の力を総動員し、しかもそれに日本・アメリカといった地理的にも遠く離れた国が関わってくるわけですね。

 

今の時代に生きる私たちからしたら、まぁその後のWW2のほうが悲惨だったけどね、みたいに捉えてしまう傾向にある。

だけど、同時の人たちからしたら、世界中の国を巻き込んだ戦争なんて今まで経験したことがなかった。この地球に生きる誰もが、この戦争に巻き込まれて殺し合いをしてる。

 

こういった状況で、人間はいわれのない恐怖心、そして「もう何も信用できない」という厭世観が生まれてきたわけです。

 

しかし、この感覚をどうぶつけていいのかわからない。

そこでクリエイターたちが目を付けたのが、当時から永世中立国で戦争に関わっていなかったスイスでした。

とりあえずスイスに集まろう。

 

そうしてスイスに集まったクリエイターたちは、今までの美的センス、世の中のルール、人間の理性、そうしたものをすべて疑い、否定し、それをアートとして表現しようとします。

 

しかし「否定」をアートにするということはまた新しい価値観を生んでしまうことになります。これでは結局今までのアートと変わらないのではないか。

 

そこで、「意味の無さ」を追求したアートを作り始めます。

徹底的に作者の意図を排除し、偶発的に生まれた「物体」をアートと呼ぼう。

 

 

 

こうしてスイスでダダイズムが生まれました。

 

 

 

ダダの生まれた場所 スイス・チューリッヒ

もうダダが生まれて100年以上経つけど、その発祥となった場所は割と普通に今も残ってる。

 当時周辺国から逃れてきた人たちが集まったのは

 "Cabaret Voltaire"

という小さなキャバレー。キャバ。

 

去年のヨーロッパ一人旅で、イタリア→スイスに入国、ここに行ってきた。

(行ってきたはいいが、一年間かけて小出しにしてきたその旅行記、結局最後まで書ききれてないじゃん!歯切れ!ってふと思ったので今回はイタリア後のスイス編、ていうことで)

 

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 壁の色良いですな

 

これが外観!なんか可愛いな!

 

ちなみにチューリッヒの中心街にあるからアクセスは良いよ

 

 

 

中心地にある割にはあっさりと佇んでいる感じで、意識しなければ気づかず通り過ぎると思う。

キャバレーだから営業時間は基本PMだしね。

 

開店時間まで待って、入ってみた。建物は2階建て

 

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ダダ発祥の地っていうことでもしかしたら内容もめちゃくちゃなんじゃないかって思ってたけど、案外まともにやってた。

1Fがダダに関する展示、2Fが本業のキャバレーになっていた。

 

元々、というか今もキャバレーとして運営している場所なだけあって、結構スペース的には小さい。さらっと見るくらいなら5分くらいで終わりそう。実際周りの見学者はそんな感じだった。

 

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Dada Afrikaになんか惹かれる

 

こんな感じで、世界ではこんなダダの流れがありました、という展示品がひたすら並べられていた。

でもダダイストの人たちからすれば、ダダイズムを詳細に説明して理解してもらおうなんてコンセプトで生家が改装されたらたまったもんじゃないよね。意味の無さを追い求めてるのに、他の人がそれについて飾り立てるのは本来のダダイズムの理念に反しているのかもしれない。

 

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ダダグッズもあったが、流石、よくわからん

 

 

てな感じで。ミュージアムというよりかは聖地巡礼

100年前にこういった表現が許された場所が唯一スイスだった、って考えるとやっぱり特異な国だな~とは思うわ。

21世紀にいても、ダダは新しい概念に見える。

 

 

ダダの意義?

ダダイズムって、ただ作品として面白いってだけじゃなくて、人間社会を構成する上で重要な要素のひとつなんじゃないのかな

 

岡本太郎さんが『自分の中に毒を持て』っていう本の中で

「人間の三権分立は芸術・政治・経済だ」と主張してる。

 

政治・経済は、本来ほっとけば暴走するもので、権力化してしまう。

それに対して芸術は永遠に権力化することはなく、果たす役割は「反権力」。

ピカソの『ゲルニカ』なんかが代表例だとおもう。

 

人間の社会が自己破滅へと向かわないよう、芸術は権力の監視と抑制を果たすものとして「三権分立」の一要素であるべきだ、というのが岡本太郎の意見。

 

 

 

この意見に乗っかるとすると、その反権力としての象徴である芸術の中で、「否定・無意味・偶発」をコンセプトにしたダダイズムは、「芸術的表現の駆け込み寺」みたいな役割をしている。

人間の内なるものを如実に表現したもの、婉曲して表現したもの、抽象的に、具体的に、印象的に、断片的に、、、

色々な表現方法がある中で、ダダイズムが持つ表現方法の幅はとてつもなく広いと思う。芸術方法を円グラフにしたら、「その他」に匹敵するぐらいの懐の広さを持っている。

 

そう思うとダダイズムって、人間が絞り出せる最後の切り札みたいな感じなのか・・?

 

・・・わかんないけど。

ダダイズムに理論持ちだして考えたら負けか?

ここらへんでやめとこう

 

 

 

最後に

スイスって永世中立国なだけあって、さすが生み出してきたものにもキャラが立ってるね。

スイスがヨーロッパ(もしくは世界)の駆け込み寺だとしたら、今後21世紀でスイスがどんな役割を果たしていくのかも気になる。

暗い未来なんか考えても意味ないけど、また世界中がカオスに陥った時に新しい価値観を生み出してくれる場所は、スイスなんじゃないかな、って思う。

 

 

 

 

 

・・・後日、ダダイズムの作品が展示されてるロンドンの"Tate Modern"にも行きました。

 

 

 

ではでは