北欧ダダイスト

スウェーデン留学していたログ

北欧社会の現実をニュートラルに捉えるには『限りなく完璧に近い人々』が良さげ

ちは。

 

留学が終わってから一年も経って、スウェーデン時代はもう遠い昔の記憶になってきた。

 

日本に戻ってからは北欧の事を専攻してる訳でもないので、色々と忘れてきてる。特に政治経済みたいな複雑な事はほぼ記憶から抜けてった。

 

それでも北欧時代の事を時々思い出すこともあって、なんか日本でも北欧に浸かれる機会はないかなー、とこの夏は色々とぶらぶらしておりました。

 

今年はスウェーデンと日本の国交開始から150

周年ということで大使館はイベントがなんかでしょっちゅう解放してるし

 

東京外大のオープンアカデミーでもスウェーデンについての教養講座があったのでアテンドしてきた。児玉千晶さんが講師。

スウェーデンについての座学は初めてで、住んでいたのに知らなかったことが次々出てくる。

 

こんな感じで、就活準備は放棄して北欧に触れようとあっちこっち首突っ込んだ夏だった。

探せばいくらでも北欧関係のイベントあるもんだなぁ、と改めて東京というテラ級都市の奥深さに感心。

 

 

はい本紹介します 

 

そんな夏に首突っ込んだ中でも、特に新鮮味があったのが

 

『限りなく完璧に近い人々』

 

イベントでも講義でもなく「本」だけどね

 

 

何が新鮮だったかというと、北欧の社会をこれだけ「中立的な視点」で捉えた文章は見たことがなかった、というところ。

 

「北欧」のイメージって

1. 理想郷として過度に美化されて描かれる

もしくは

2. 移民統合に失敗した残念な社会

 

という両極端な偏見で報道されがちなんですよね。

これは日本に限らず、アメリカとかでも同じらしい。

 

長いこと理想郷としてイメージされてきた反動として、ボロの出たところをピックアップする傾向も同じように強くなっている気がする。

 

そんな感じで北欧はリアルな姿がまっすぐ届きにくい、実態のつかめない国々なんじゃないかなと思っていたけど

 

『限りなく完璧に近い人々』

 

では、割と北欧社会の良いところも悪いところも、ありのままに書き出されていた。

 

おそらく北欧を中立的に描き出せた背景要因として

 

1. 筆者がイギリス人という北欧との微妙な距離感

2. 筆者の本職は料理家

 

の2点だと思う。あと妻がデンマーク人っていうのも。

 

この本は600ページ近くある上取り扱ってるテーマも幅広いんだけど、終始イギリス人特有のアイロニーが効いていてコメディ要素が強め。

筆者が自ら北欧五ヵ国に出向いて体当たり取材していくスタイル。

 

 

イギリスという北欧に近くもあり他人でもある、という距離感だからこそ自分との共通項や相容れない部分を繊細に感じ取れてるのかなーと。

 

あとは筆者がそもそも社会学系が専門ではなく、変に強い思想を持っている訳でもない、というところも良さだと思った。

 

その分北欧社会に対する疑問や批判の視点が幅広く、社会学者が指摘しないような所へも突っ込んでいくのが新鮮で面白い。

 

 ということで随分と雑なレビューですが

とりあえず北欧を知ってみようというテンションでも、

北欧に対するあら探しをしてやるぜ、、!というテンションでも、何でもいいと思います

 

どのテンションでも読んで面白いと思える稀有な本です。

 

 

 

 

では

 

 

 

 

限りなく完璧に近い人々 なぜ北欧の暮らしは世界一幸せなのか? (角川書店単行本)
 

 

80年代アメリカの天才、表参道への回帰。【特別展:キース・へリングが愛した街 表参道】

 

 

表参道で開催中の『キース・へリングが愛した街 表参道』に行ってきました。

 

 

 

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©Mori Building Co., LTD.

 

 

 

山梨にある中村キース・へリング美術館所蔵の作品が展示されていますが、意外にも東京では初公開らしい。

 

 

 

会期:2018年8月9日(木)-8月19日(日)

場所:表参道ヒルズ本館B3F

EVENT | キース・ヘリング生誕60年記念 特別展「Pop, Music & Street キース・ヘリングが愛した街 表参道」 | 表参道ヒルズ - Omotesando Hills

 

 

 

今回はオリジナルポスター、レコードジャケット、来日時の秘蔵写真の展示に加えて、ミュージアムショップまで併設されています。

入場無料っていうのに、表参道ヒルズの懐の大きさを感じますね。

 

 

 

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そういえば黄色、緑、赤ってアフリカンカラー

 

 

特別展の入り口で諸注意を受けて、入る。

写真撮影も大丈夫。

 



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今回の特別展でキーとなるのが『表参道』という街。

 

 

キースは1980年代を代表するアメリカ美術のアーティストですが、彼はその時期に東京にも来ていたようです。自身のオリジナルグッズを販売するショップを1988年東京・青山に2号店としてオープン。

 

 

同じ年に、当時ストリートパフォーマンスが流行していた表参道の歩行者天国で路上にチョークでアートを描くというパフォーマンスを行ったそうです。

 

 

 

「keith haring omotesando」の画像検索結果

Photo by © Akira Kishida

 

 

 

キースの活動に共鳴し、受け入れる土壌が表参道にはあったということなんですね。

31年という短い生涯の中でキースが何度も足を運んだということは、それだけ表参道という街が彼を強く惹いた環境を持っていたんですね。

 

 

 

展内に入るとすぐに、壁一面の作品が。

キースの作品達は集合体としても一つの作品ができるほど、それぞれの作品に彩があります。

 

 

 


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作品の中には、純粋なアート作品に加えて商業用のポスターもありました。

 

 



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Lucky Strike (タバコ)なんかは今のタバコでは考えられないくらいポジティヴに仕上がってますね。

商業用のポスターといっても、やはりキースの個性が消えることはなく、むしろ広告商品を彼の作品に取り組んでいるような印象を受けます。

 

 

 

 

また、キースは反アパルトヘイト、核放棄、エイズ予防、LGBTカミングアウトなど社会的なテーマでも作品を多く作り出してきました。

 

 

 

 

 

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これは広島でのイベントがあった際のポスターだそうです。

反戦」というテーマはキースにとってこう表現されるのか。

 

 

描かれたシンボルたちが持つ柔らかさと内在されたメッセージ性の強さを共存させているのは、キースのなせる業だなと思います。

 

 



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併設されているストアです。

小物、アパレル、その他もろもろ。

 

 


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用途がやや謎だが

 

手軽に買えそうなものも勿論あるんですが

 


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壁紙まで売ってました。

キースの画集も売ってます。

 

 

 

ざっと特別展はこんな感じでした。

 

 

 

高校の時にキースの作品に出会ってから、彼の作品から放たれる包容力のある明るさに強く惹かれ続けていました。

 

 

しかしその明るさの背景には、彼自身が抱えていた問題や、世界の間違ったあり方への問題意識が根本にあったことには気が付きませんでした。

 

 



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キースと代々木公園

 

 

 

 

そうした背景があるからこそ、彼の作品は没後28年を経た現在でも風化せず、広く支持されているんですね。

 

 

 


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イヌ氏

 

 

 

 

また、表参道の魅力を再確認できたことも、この特別展の魅力でした。

キースの生きた80年代から、変わらず若者たちを魅了し続け新たな価値観を生み出していく街。

 

 

 

この街から何が生まれてくるのか、今後も楽しみです。

 

 

 

 


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特別展後 キースが遊んだ表参道のストリート

 

 

 

 

 

 

【参考URL】

EVENT | キース・ヘリング生誕60年記念 特別展「Pop, Music & Street キース・ヘリングが愛した街 表参道」 | 表参道ヒルズ - Omotesando Hills

キース・ヘリングが愛した街。 表参道で今夏、キース・ヘリングの特別展が開催へ|MAGAZINE | 美術手帖

芸術を否定した芸術・ダダイズムが生まれた場所。【Cabaret Voltaire】

おはよう世界

哲学って深みにはまると結構危ないので普段あまり考えないようにしてるけど、どうしても考えちゃうときは、もういいや、って割り切って深みにずぶずぶ沈んで身を任せる。

 

そんな感じで過去の人たちも同じようなことを考えてきたんだろう。

個人的な悩みだったらそんな過去の偉人たちを頼ればある程度答えに近いものは見つかるかもしれない。

 

ただ、問題は世界を巻き込むレベルの哲学的難題が人類に降りかかったとき、どうすればいいんだろうか

 

 

『人間の理性』

とか

『世の中のあたりまえ』

とか

『美的センス』

とか

 

こういった人間の頭の中で作り上げてできた世界が、ある日突然音をたてて崩壊したとしましょう。それも世界中で。

 

こういう環境に直面した時、表現者ってどういった行動をとると思いますか?

 

 

 

実際に人類がそういう状況に陥った時が、あったんですね。

そしたら

 

 

 

 

 

 

 

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Photo: © 2018 www.artyfactory.com

 

こうなったり・・!

 

 

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Photo: © 2018 www.artyfactory.com

 

こうなったりしたらしい・・・!!!!(諸説

 

 

なんだこれは、、、

わけがわからないよ、、、

 

 

何があったら人間は、顔に物差しの張り付いたオブジェを作ったり

モナリザに髭を生やして、別の作品にしようなんていう暴挙にでるんでしょうか

 

 

実は、この「意味が分からない」という感覚、これを体現したのが、上の作品たち。

何を表現しているのかわからなくて当然、というか作った本人たちも出来上がった作品が何を意味しているのかさっぱりわからない。

 

こういった作品が芸術史に登場するようになったのが、「既成の世界が崩壊した時代」、つまり第一次世界大戦の時でした。

 

これらの作品のコンセプト、それは『ダダイズム』です。

 

 

 

なぜイミフ過ぎる芸術が生まれたのか 

第一次世界大戦ダダイズムにどういった関係があるんだ?って思うかもしれない。

歴史的には、第一次世界大戦、初めて全世界を巻き込んだ戦争が起きるわけです。ヨーロッパの紛争から始まり、そのヨーロッパ諸国が彼らの植民地の力を総動員し、しかもそれに日本・アメリカといった地理的にも遠く離れた国が関わってくるわけですね。

 

今の時代に生きる私たちからしたら、まぁその後のWW2のほうが悲惨だったけどね、みたいに捉えてしまう傾向にある。

だけど、同時の人たちからしたら、世界中の国を巻き込んだ戦争なんて今まで経験したことがなかった。この地球に生きる誰もが、この戦争に巻き込まれて殺し合いをしてる。

 

こういった状況で、人間はいわれのない恐怖心、そして「もう何も信用できない」という厭世観が生まれてきたわけです。

 

しかし、この感覚をどうぶつけていいのかわからない。

そこでクリエイターたちが目を付けたのが、当時から永世中立国で戦争に関わっていなかったスイスでした。

とりあえずスイスに集まろう。

 

そうしてスイスに集まったクリエイターたちは、今までの美的センス、世の中のルール、人間の理性、そうしたものをすべて疑い、否定し、それをアートとして表現しようとします。

 

しかし「否定」をアートにするということはまた新しい価値観を生んでしまうことになります。これでは結局今までのアートと変わらないのではないか。

 

そこで、「意味の無さ」を追求したアートを作り始めます。

徹底的に作者の意図を排除し、偶発的に生まれた「物体」をアートと呼ぼう。

 

 

 

こうしてスイスでダダイズムが生まれました。

 

 

 

ダダの生まれた場所 スイス・チューリッヒ

もうダダが生まれて100年以上経つけど、その発祥となった場所は割と普通に今も残ってる。

 当時周辺国から逃れてきた人たちが集まったのは

 "Cabaret Voltaire"

という小さなキャバレー。キャバ。

 

去年のヨーロッパ一人旅で、イタリア→スイスに入国、ここに行ってきた。

(行ってきたはいいが、一年間かけて小出しにしてきたその旅行記、結局最後まで書ききれてないじゃん!歯切れ!ってふと思ったので今回はイタリア後のスイス編、ていうことで)

 

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 壁の色良いですな

 

これが外観!なんか可愛いな!

 

ちなみにチューリッヒの中心街にあるからアクセスは良いよ

 

 

 

中心地にある割にはあっさりと佇んでいる感じで、意識しなければ気づかず通り過ぎると思う。

キャバレーだから営業時間は基本PMだしね。

 

開店時間まで待って、入ってみた。建物は2階建て

 

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ダダ発祥の地っていうことでもしかしたら内容もめちゃくちゃなんじゃないかって思ってたけど、案外まともにやってた。

1Fがダダに関する展示、2Fが本業のキャバレーになっていた。

 

元々、というか今もキャバレーとして運営している場所なだけあって、結構スペース的には小さい。さらっと見るくらいなら5分くらいで終わりそう。実際周りの見学者はそんな感じだった。

 

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Dada Afrikaになんか惹かれる

 

こんな感じで、世界ではこんなダダの流れがありました、という展示品がひたすら並べられていた。

でもダダイストの人たちからすれば、ダダイズムを詳細に説明して理解してもらおうなんてコンセプトで生家が改装されたらたまったもんじゃないよね。意味の無さを追い求めてるのに、他の人がそれについて飾り立てるのは本来のダダイズムの理念に反しているのかもしれない。

 

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ダダグッズもあったが、流石、よくわからん

 

 

てな感じで。ミュージアムというよりかは聖地巡礼

100年前にこういった表現が許された場所が唯一スイスだった、って考えるとやっぱり特異な国だな~とは思うわ。

21世紀にいても、ダダは新しい概念に見える。

 

 

ダダの意義?

ダダイズムって、ただ作品として面白いってだけじゃなくて、人間社会を構成する上で重要な要素のひとつなんじゃないのかな

 

岡本太郎さんが『自分の中に毒を持て』っていう本の中で

「人間の三権分立は芸術・政治・経済だ」と主張してる。

 

政治・経済は、本来ほっとけば暴走するもので、権力化してしまう。

それに対して芸術は永遠に権力化することはなく、果たす役割は「反権力」。

ピカソの『ゲルニカ』なんかが代表例だとおもう。

 

人間の社会が自己破滅へと向かわないよう、芸術は権力の監視と抑制を果たすものとして「三権分立」の一要素であるべきだ、というのが岡本太郎の意見。

 

 

 

この意見に乗っかるとすると、その反権力としての象徴である芸術の中で、「否定・無意味・偶発」をコンセプトにしたダダイズムは、「芸術的表現の駆け込み寺」みたいな役割をしている。

人間の内なるものを如実に表現したもの、婉曲して表現したもの、抽象的に、具体的に、印象的に、断片的に、、、

色々な表現方法がある中で、ダダイズムが持つ表現方法の幅はとてつもなく広いと思う。芸術方法を円グラフにしたら、「その他」に匹敵するぐらいの懐の広さを持っている。

 

そう思うとダダイズムって、人間が絞り出せる最後の切り札みたいな感じなのか・・?

 

・・・わかんないけど。

ダダイズムに理論持ちだして考えたら負けか?

ここらへんでやめとこう

 

 

 

最後に

スイスって永世中立国なだけあって、さすが生み出してきたものにもキャラが立ってるね。

スイスがヨーロッパ(もしくは世界)の駆け込み寺だとしたら、今後21世紀でスイスがどんな役割を果たしていくのかも気になる。

暗い未来なんか考えても意味ないけど、また世界中がカオスに陥った時に新しい価値観を生み出してくれる場所は、スイスなんじゃないかな、って思う。

 

 

 

 

 

・・・後日、ダダイズムの作品が展示されてるロンドンの"Tate Modern"にも行きました。

 

 

 

ではでは

『ガザの美容室』が生々しい

 

 

今のバイト先が映画館なんだけど、紺屋の白袴というか、ヒマになっても「映画に行こうかなぁ」っていう思考にはなかなかならない。

 

別に映画が嫌いというわけではなくてむしろ好きだからバしてるわけだけど、やっぱり「バ=映画館」になると、「映画館→バ=労働」っていうイメージがもう、無意識に沁みついている。これはエンタメ系バイトで働く人の宿命・・!

 

ひとつ助言があるとすれば、映画好きだから映画館でバしたい!っていう人は労働としての映画館を想像したほうがよいぞ、ということ

ここまで言っといて自分は特に問題ないけどね、なんだかんだ楽しいよ映画館

 

 

そんなバ学生も長い夏休みに入ったんで、映画。してきた。

今回行ったのは前も紹介した、UPLINK渋谷。映画館以外にもギャラリー、カフェなんかも併設されている複合施設型のミニシアター。

ちなみに学生だと一本1,100円ていう良心的な価格設定。シネコンよりだいぶ安い。

 

何作品か上映している中で、選んだのはガザの美容室

 

 

一緒に観に行った友達が「中東で戦争を経験してるんだよね~」っていう結構キワい経験を、昨日友達とランチしたんだよ~くらいのノリで話す人なので

なので

この映画観ようかと決まった。俺が「うん、そうしよう」と答える形で。

メンタルが異常にタフい人もいるもんだ。

 

 

 

概要

ネタバレはしませんよ

 

ガザの美容室』は公開2015年、製作国はパレスチナ・フランス・カタール

ざっくりとした内容を公式HPから

 

パレスチナ自治区、ガザ。クリスティンが経営する美容室は、女性客でにぎわっている。店主のクリスティンは、ロシアからの移民。美容室のアシスタントのウィダトは、恋人で、マフィアの一員アハマドとの関係に悩んでいる。亭主の浮気が原因で離婚調停のエフィティカールは、弁護士との逢瀬に向けて支度中。戦争で負傷した兵士を夫に持つサフィアは、夫に処方された薬物を常用する中毒者だ。敬虔なムスリムであるゼイナブは、これまでに一度も髪を切ったことがなく、女だけの美容室の中でも決してヒジャブを取ることはない。結婚式を今夜に控えたサルマ、臨月の妊婦ファティマ、ひどい喘息を患っているワファ、離婚経験のあるソーサン・・・それぞれの事情をもつ、個性豊かな女性たち。

 

戦火の中で唯一の女だけの憩いの場で四方山話に興じていると、通りの向こうで銃声が響き、美容室は殺りくと破壊の炎の中に取り残された・・・。

 

出典:『ガザの美容室』公式HP

 

この映画を監督したタルザン&アラブ・ナサール兄弟は、ガザ生まれ。

彼らは、虐げられるパレスチナの女性を描くのではなく、彼女らの「生」の部分、つまり日常を描くことをコンセプトにしたそう。

 

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画像:ガザの美容室公式HP

 

パレスチナ・ガザと聞いてイメージする「非力な市民像」は、戦争中であっても常に人生を選択し続ける市民の実像とはかけ離れている。

 

一方的な被抑圧者としての「弱さ」を描くのではなく、不条理な中でも日常を生きる「強さ」にフォーカスを当てた作品であるといえる。

 

 

ガザって

 中東にあまり興味がなくて「そもそもガザってどこ?」っていう方ももちろんいらっしゃるであろう

 

しかし

この映画でガザの背景知識はほとんどいらない。

とりあえずガザっていうのは、中東のある地域で、歴史的な不条理によってアラブ人が「押し込まれた」場所、という認識があれば問題ない

 

詳しく知っていればもちろんいいとは思うんだけど、この映画は「女性がどう生を選択していくのか」にフォーカスが当てられているからあまり背景知識が活きることもないと思う

 

 

孤立とストレス

基本的にずっと美容室を舞台に女性たちがあーでもないこーでもないと言い合う内容。

もともと緊張感のあるガザ地区の美容室にそれぞれの問題を抱えた女性たちがやってくるんだが、店員はそんな面倒なお客全員に対応できるわけもなく、おまけに外では戦闘が始まり美容室は完全に取り残される。

 

つまり、最初から最後までかなりストレスフルな内容。

実際映画観てる途中に若干チック症になりかかった(大丈夫だけど

 

緊張感あるなかで不毛なやりとりを眺め続けるというのは、正直結構イライラするもんですな

 

しかし、これこそがおそらくこの映画の醍醐味だと思う。ストレスの追体験

普通の戦争映画であれば社会問題を内在させ、事実関係が重んじられる傾向にある。

この映画では史実関係というより、戦時下の日常をメインにしているからこそ、政治的な背景はほとんど皆無ながら、高度のガザ・追体験ができてるんじゃないかなと思った。

 

劇中に出てくる女性たちはみんなそれぞれに個性が強いけど、ひとつみんなに共通していることがある。それは、冷たいくらい現実的な目線を持っているということ。

それはほぼ間違いなく、イスラエルによる反感、パレスチナを仕切る勢力に対する従順の拒否、争いを選ぶ男たちへの諦観、そういった彼女たちを取り巻く環境がそう「させた」。

彼女たちから発せられた現実的で諦観的な言葉は、その環境を追体験することによって深く共感せざるを得ない。

 

 

まぁ確かに、このワケワカンナイ状況に置かれたら、こうも夢見なくなるよね。

ラストシーンも、かなりのオープンエンド。どう解釈していいのか。

 

 

 

興味あるな、というスタンスで

ストーリーがあるのかといわれれば謎だし、じゃあ社会派の内容なのかといわれればそれもしっくりこない。

先述したように、『ガザの美容室』「追体験」をコンセプトにした映画だとおもう。

 

自分は勝手に『ガザの美容室』っていうタイトルから結構ストーリーベースなのかな~って想像してたから、「あれ?イメージと違うな」とはなった。

だから、求めるものによっては鑑賞者の評価が分かれるんじゃないかなと思った。

 

でもなんだかんだ、現場のリアルを知るにはこういう日常を切り取る感じの映画が一番なんじゃないかなー。

 

 

興味あるな、と思った方は、アップリンクさんへ。

 

 

 

www.uplink.co.jp

『ラッカは静かに虐殺されている』で21世紀に生きる市民のあるべき姿をみた

 

4月より公開している『ラッカは静かに虐殺されている』をUPLINK渋谷にて観てきました。

衝撃的だった。。

 

 

予告編

 

「我々が勝つか、皆殺しにされるかだ」

 

この言葉が、ジャーナリストの口から普通、出てくるんでしょうか。

不条理に対抗するために想像を絶するほどの危険を覚悟している、市民ジャーナリストたちを追ったドキュメンタリー映画です。

 

公式サイトよりあらすじを説明しますと

 

戦後史上最悪の人道危機と言われるシリア内戦。

2014年6月、その内戦において過激思想と武力で勢力を拡大する「イスラム国」(IS)がシリア北部の街ラッカを制圧した。

かつて「ユーフラテス川の花嫁」と呼ばれるほど美しかった街はISの首都とされ一変する。爆撃で廃墟と化した街では残忍な公開処刑が繰り返され、市民は常に死の恐怖と隣り合わせの生活を強いられていた。 

海外メディアも報じることができない惨状を国際社会に伝えるため、市民ジャーナリスト集団“RBSS”(Raqqa is Being Slaughtered Silently/ラッカは静かに虐殺されている)が秘密裡に結成された。

彼らはスマホを武器に「街の真実」を次々とSNSに投稿、そのショッキングな映像に世界が騒然となるも、RBSSの発信力に脅威を感じたISは直ぐにメンバーの暗殺計画に乗り出す――。

引用:『ラッカは静かに虐殺されている』公式HP

 

このような内容です。

 

 

 

トラウマと理念

 

今でこそISは力尽きたという印象がありますが、その存在は2014年に台頭して以来ずっと、国際社会に強いインパクトを与え続けてきました。

 

2014年というと自分が高校3年生の時。

当時ISが台頭しましたというニュースをみて

 

「この人たち、わけのわからん思想が沁みついちゃってる?!ただの無鉄砲な暴力集団だと思ってた・・!」

 

と絶望してました。受験生で神経質になっていたこともあって、ずっと吐きそうな気分だったな。。

 

映画『ラッカは静かに虐殺されている』©『ラッカは静かに虐殺されている

 

そんな、自分の中ではトラウマ気味なISに対して果敢に戦い続けているRBSSのメンバーの姿には、ただならぬ覚悟を感じます。

その覚悟が「我々が勝つか、皆殺しにされるかだ」という言葉に集約されていると思ってます。

 

いくら目の前に惨事が広がっていたとしても、そのことを伝えるために行動を起こすことで命を落とすかもしれないという帰路に立たされた時、それでも行動を起こすという判断のできる人はそんなにいないんじゃないかな、と思うんですよね

 

実際にRBSSのメンバーが殺されてしまう過程も、映画内では生々しく描かれています。

 

もちろん残された彼らが心穏やかでいられるわけもなく、今の精神状態でドキュメンタリーとして撮影されるのは酷じゃないの?というシーンが何度か出てきます。

やはりそれでも、何度も住処を変えなければならなくなっても、ヨーロッパで移民排斥のデモを目の当たりにしても、彼らは情報を発信し続けるという手段を取ります。

 

だからこそ彼らが常に不安・トラウマと戦い続けていること、自分たちの使命を命がけで守ろうとする姿勢がびしびし伝わってくるんですけどね。

 

ラストシーンがひどく印象に残っています。

 

 

 

21世紀的メディアのあるべき姿

 

映画を見ている途中で強く感じたのは、このテロ集団と市民ジャーナリスト達の闘いが非常に21世紀的であるということ。

彼らの闘いとはモノとモノをぶつけ合う物理的な戦いではなく、情報と情報を放出させ合う実態の見えないフィールドで行われています。

 

ISがラッカ市民は豊かな生活を送っている主張すれば、RBSSが市内を盗撮し実際には市民が抑圧されている様子をSNSに投稿する。

それに怒ったISは情報統制を行うために市内のパラボラアンテナを徹底的に破壊する。RBSSはデータの暗号化をすることによってISの検閲をくぐり抜けながらも国外へと情報を発信する。

 

映画『ラッカは静かに虐殺されている』©『ラッカは静かに虐殺されている

 

このような高度な情報戦が、シリアで行われています。IS側にはITのプロが雇われているし、RBSSはもともとメディア関係には素人であっても情報を暗号化できる程の高いスキルを持っている。

 

情報というものがこれ程高度な技術によって操作され私たちのもとに届いているのだとすれば、その背景を知る必要があるし、情報を受け取る自分たちも相応のメディアリテラシーを持ち合わせなければいけないですね。

 

 

最後に

一応、現在ISは公式的には「壊滅」されています。

しかしISの思想を継いだ輩は世界中にまだごまんと存在します。彼らがテロを起こす可能性はまだ十分にあります。ISがまたどこかで大規模な結集を図る可能性も否定できません。

こうした状況が今も続いている以上、RBSSの活動は続くはずです。

 

RBSSへの支援は下記リンクから可能だそうです

Raqqa is Being Slaughtered Silently

 

映画は6月末まで公開しているそうです。

自分も、RBSSの活動を全力で応援していきますぞ

 

 

 

 

 

公式サイト

www.uplink.co.jp